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![]() そんな状況下の1727年、ブラジルとフランス領ギアナとの間で国境紛争が起こります。 ブラジルは当時、ポルトガルの植民地で、まだコーヒーの生産は開始されていませんでした。 今日、世界一のコーヒー生産量を誇るブラジルには当時、コーヒーの木はただの一本なく、一粒のコーヒー豆も生産されていなかったのです。 これに対してフランス領ギアナには、すでにド・クリューによってマルティニーク島にもたらされたコーヒーの木の子孫が移植されていました。 2国間の紛争は、そんな状況下で起こりました。 ![]() パルヘッタは、ギアナ滞在中にブラジルへコーヒーを持ち帰ろうと考えたようです。 しかし、その国外持ち出しはもちろん厳禁。 そこで彼は、首都カイエンヌのクロード・トルヴィエ総督夫人に近づき、折りを見て便宜を図ってくれるよう頼み込みました。 ラテン男の面目躍如といったところでしょう。 総督夫人はパルヘッタの願いを聞き入れ、彼の帰国の日までにコーヒーを手に入れることを約束してくれました。 ![]() パルヘッタはアマゾン河口のパラに帰任し、持ち帰ったコーヒーをその地に移植しました。 こうして17世紀末、ババ・ブータンによってアラビアから持ち出されたコーヒーは、30年の長い旅ののち、ついにブラジルの大地に根付いたのです。 そしてブラジルのコーヒー栽培はここからはじまり、やがて世界の生産量の80パーセントまでを担うコーヒー大国へと発展していくことになります。 |