Coffee Column - The world history




 フランスにコーヒーがもたらされたのは1644年。 ド・ラ・ロークという人物が大使に随行してコンスタンティノープル(現イスタンブール)へ赴いた際、マルセイユに持ち帰ったのが最初とされています。 その後、トルコから大使として派遣されたソリモン・アガという人物が、ルイ14世に謁見した際、国王にコーヒーを献上したという記録が残っています。 それ以来、コーヒーは王侯貴族をはじめ、上流階級の人々の間に広まっていったようです。  一般の人々がコーヒーを知るのは1672年、パスカルというアルメニア人が、サン・ジェルマンの市にトルコ風のコーヒーハウスを出店した時でした。 パスカルはこのコーヒーハウスが大好評だったため、その後常設のコーヒーハウスをオープンしますが、これは失敗。 その頃すでにコーヒーハウスが隆盛だったロンドンに去っていったそうです。 その後もいくつかカフェ、というよりトルコ風のコーヒーハウスがパリに生まれましたが、どれもなかなか成功を納めるには至りませんでした。 その後のカフェの隆盛を考えれば、ちょっと信じられないことですが、パリにコーヒー文化が根付いたのはヨーロッパ諸都市の中では遅い方で、 最初の頃はなかなか受け入れてはもらえなかったようです。

 そんな逆風の中の1689年、今日なお盛業を続ける、有名なカフェ・ド・プロコープがデ・フォセ・サンジェルマン通り (現ランシエンヌ・コメディー通り)にオープンします。 創業者のプロコープはパレルモ出身のシチリア人で、パスカルの店でボーイとして働いていた人物でした。 芸術の都らしく、プロコープには著名な作家や画家、俳優たちが訪れるようになりました。 ざっと名前を挙げただけでも、ルソー、ヴォルテール、ディドロ、ド・ベロワといった、そうそうたる面々です。 フランスとの間に攻守同盟を結ぶべく特使としてアメリカからやって来たベンジャミン・フランクリンも滞在中、プロコープをよく訪れたそうです。 フランスにとっては「革命前夜」といった時期のことです。

 ロンドンのコーヒーハウスが、公共の多目的ホールとなったのに対し、パリのカフェはフランス革命の温床となったことで知られています。 革命期、ルーブル宮殿の北にあるパレ・ロワイヤル広場周辺にはカフェが建ち並び、思想家やジャーナリスト、芸術家たちが、コーヒーを飲みながら政治を議論しました。 マラーやダントン、ロベスピエールら、王制打倒を叫ぶ「ジャコバン派」の急進改革派たちが、パレ・ロワイヤルのカフェで密議を重ねたそうです。  カフェの常連だったカミーユ・デムーランは1789年7月12日、改革派の財務長官ジャック・ネッケルの解任に際し、 有名な「武器を取れ!」という演説をパレ・ロワイヤル広場でおこなっています。 これに呼応した民衆による暴動はパリ全市へと拡大し、7月14日には革命の幕開けとなるバスティーユ監獄の襲撃に至りました。 フランス革命は、パリのカフェからはじまったといってもいいでしょう。