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ロンドンで最初のコーヒーハウスがコーンヒルのセント・マイケル通りに開店したのは、1652年のこと。
店主の名はパスカ・ロゼ。アルメニア出身で、ダニエル・エドワーズという商人がトルコへ行った際、連れ帰った人物でした。
ロゼはもともと、エドワーズに召使いとして雇われていました。
ところが、彼が淹れるコーヒーがエドワーズの友人たちの間で大評判に。
そこでエドワーズは、ロゼにコーヒーハウスを開くことをゆるしたのです。
ロゼの店のオープンを皮切りに次々とロンドンにコーヒーハウスが誕生していきました。
ロンドンのコーヒーハウスは、コーヒーをイギリスに普及させる以外にさまざまな役割を担ったことで知られています。 当時のイギリスは産業、貿易、金融、どれをとっても世界をリードする存在でしたが、社会資本の整備はまだ不十分で、 人々が集まって情報を交換し、あるいは商取引きをおこなうための公共の場がほとんど存在していませんでした。 そこに登場したのがコーヒーハウスでした。 いわば多目的ホールの誕生といっていいでしょう。 あるコーヒーハウスは株式取引所の、あるコーヒーハウスは商品取引所の、またあるコーヒーハウスはそのネットワークを利用して郵便局の代わりとしての機能を果たすことになります。 当初のロンドンのコーヒーハウスは、ただコーヒーを飲むための場所というだけでなく、重要な社会的機能をも果たしたのです。 17世紀の終わり頃には、エドワード・ロイドという人物がタワー通りに開店したコーヒーハウスが、店で発行している「海事ニュース」のために大繁盛していました。 それを目当てに船乗りや貿易商が多く出入りしていたそうです。 やがて店が手狭になり、ロイドのコーヒーハウスはロンバード通りに移転しますが、するとこんどは保険引受業者たちが多く集まるようになりました。 当時の保険は業者が個人で引き受けていたため、業者たちはそれぞれ情報を求めていたのです。 迅速で正確な情報は、彼らのビジネスには欠かせないものでした。 しかも当時の保険業者は共通の問題を抱えており、誰もが業者間での協力の必要性を感じていたのです。 というのは、彼らは個人で保険を引き受けていたため、いったん支払いの義務が生じると大きな損害を被ります。 とくに巨額の保険金を支払わなければならない海難事故は、起これば死活問題です。 そこでロイドの店に集まっていた保険業者たちは、リスクを分散させるためのシンジケートを組織します。 これが世界最大の保険会社、ロイズ保険組合の起源です。 ロイドの死後、店はなくなってしまいますが、保険業者たちは資金を出し合い、新たにロイズ・コーヒー・ハウスと名づけたコーヒーハウスを自分たちのために開きました。 もちろん、現在のロイズ保険組合の本社はコーヒー・ハウスではなく、ロンドンのシティと呼ばれる金融街にそびえる巨大なビルです。 しかし、今日なおロイズ (Lloyd's) の名はそのまま残っているわけです。 |